嘉納治五郎が残した功績と「日本体育の父」と呼ばれる理由を解説

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2019年の大河ドラマ「いだてん」では、日本人として初めてオリンピックに参加したマラソン選手・金栗四三を中心に、日本のスポーツ界に貢献した人物群像が描かれている。今回は、この金栗四三を見出し「日本体育の父」とも呼ばれる嘉納治五郎(1860〜1938)について紹介しよう。

嘉納治五郎は柔道の生みの親

日本には古くより「柔術」という古武道があったが、この柔術を自分なりに再解釈して柔道を考案したのが嘉納治五郎だ。彼が開いた道場「講道館」から警視庁入りする門下生が増えて、柔道は次第に世間に認められるようになった。

嘉納治五郎が柔道を考案したのは精神鍛錬と体力増進のため

昨今はスポーツとして脚光を浴びる柔道だが、嘉納治五郎は文武両道を良しとし、柔道の良さは精神鍛錬にあるとした。彼自身、柔道を始めて短気だった性格が穏やかになり、健康になったという。勝負の結果にこだわらず心身を育てる「体育」の概念は嘉納治五郎にはじまったと言える。これが彼を「日本体育の父」と言う所以の一つだ。

嘉納治五郎は学校現場に体育を定着させた教育者

彼はまた、学習院や東京師範学校(現筑波大学)など多くの学校で教鞭を執る、根っからの教育者だった。彼は「いだてん」にも登場した金栗四三が東京師範学校在学中に校長で、その後の金栗四三のオリンピックへの道を開いた功労者だ。学校現場に「体育」を定着させた功績も大きい。

嘉納治五郎は柔道を通じて世界平和を目指していた

英語が堪能な嘉納治五郎は、政府の欧州視察団の一員として海外を視察し、いつの日か柔道を広め世界平和を目指す夢を持つようになったという。平和の祭典オリンピックの東洋初の委員になったのは1909年(明治42)。1912年のストックホルム五輪には団長として金栗四三と参加している。

・東京五輪・札幌冬季五輪を誘致するも戦局悪化で幻に
彼は1936年(昭和11)の東京五輪、1938年(昭和13)の札幌冬季五輪の誘致にも成功したが、いずれも太平洋戦争の局面悪化で幻に。1938年に77歳で死去している。

柔道家として硬派と思いきや、実は素養も深かった嘉納治五郎ならではの人生を知って「いだてん」を視聴するのも一興だろう。

嘉納治五郎の 動画 まとめ

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